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  • December 04, 2014
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YUMA1996

カーステレオからはCOOLIOのヒット曲が流れていた。

ロサンゼルスのハイウエイは、その交通量のせいか路面が荒れていて

小刻みな振動の中だったが、響くスピーカーからの低音が妙に心地よかった。

「ロスは空気が乾燥しているから、スピーカーの音の響きが違うよね!」なんて、

1996年。

もすぐ世界が終わるならなんて、ちょっと刹那に私はアメリカを目指した。

 

ロスの文化は衝撃だった。

サンタモニカは、辻堂のサーファー通りの様な古い海辺の町並みに、

スケボー少年が滑り込んだ、古いガレージの奥を覗き込んでみれば、

そこには(一台何百万もする)シリコングラフィックのワークステーションがずらっと並んでいた。

 

ロサンゼルスから南下して、サンディエゴへ。

そこからメキシコとの国境と平行に走ると、町並みはどんどん密度が薄れて行き、

いつしか砂漠の中の一本道となっていた。

「デューン〜砂の惑星」の撮影地だった砂漠を通りすぎて、

夕刻たどり着いたのはYUMAという砂漠の中にある国境沿いの町。

町にはスペイン語と、ペソとドルの換金所が点在している。

そして通り沿いには60年代からタイムトリップした様なモーテルが建ち並ぶ。

これはいつか見た「パリ・テキサス」の風景か?

 

 

この日の宿、一泊19ドルのコルコバード・モーテルのプールは

砂漠の町の昼間の暑い日差しで温水のように温かった。

水彩画の様にブルーとオレンジが滲んだ夕焼けのあと、9時を過ぎてようやく暗くなると、

街道沿いのピザハウスで、シェフのおすすめサラダと、

タバスコたっぷりのアンチョビとオリーブのピザでディナー。

クアーズもミラーも発音悪くてが通じない。

バドライトが乾いたのどを潤す。

裏には、鄙びたバーがあって、

ドアを開けるとカウンターのナスターシャ・キンスキーが振り返る。

 



翌朝、ホテルのご主人から声をかけられた。

「日本人か?」と。

「そうだ」と答えると、自分も子どもの頃に日本にいたと言う。

父親が軍隊に居て、幼少時代の何年間かを沖縄で過ごしたそうだ。

「ショショショジョジ、ショジョジノニワワ、ツンツンツキヨダミンナデテコイコイコイ」

彼が唯一わかる日本語はこの唄だけだそうだ。

彼は何回も歌ってくれた。そして去って行った。

 

 

このモーテルに何日間か滞在した。

このときに撮った写真を、いつか必ず届けようと思いつつ、もう19年になる。

あの犬はもういないだろう。

だけどもう一度、会ってこの写真を届けたい。

 

Corcovado(quiet nights, quiet star)

ジョアン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルトのボサノヴァの名曲。

ここは本当に静かで星が綺麗な砂漠の中の町。

ここに一ヶ月くらい居てもいいなと思った。

何も無いけど。そして毎日何もやることが無いけど。

 

コルコバードと言う会社名にはそんな由来がある。

今までうまく説明できたことが無いけど、そんな感じ。

どんな感じ?

うまく伝えられたことが無い。

 

Astrud Gilberto – Corcovado

 

(松村正承)