2014-01-28 13-47-53
  • January 04, 2016
  • diary

虹とスニーカーの頃

“わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪”
当時、小学五年生の私は、その意味すらわからず口ずさんでいた。
しかし、そのニュアンスは感じていた。
大人の恋のニュアンス。早熟なのではない。
11歳にもなればそれくらいのニュアンスはわかるものだ。

時代はめぐり、自分の息子がすでに18歳になる。
受験生なのだが、これがまた我が道を行こうとしている。
勉強そのものは、しないわけでは無いのだが、まず、予備校に行かない。
模試をきちんと受けない。(なのできちんとした相対的なデータが無い・・・。)
そもそも、英語ではない外国語で受験しようとしている。
(しかしもちろん海外生活経験は無い)

根性論が嫌いなので、我々が考える

いわゆる受験生的な気合の入れ方など、全く興味なし。

親としては、現状が全く見えないので不安が募る一方。

本人は大丈夫、わかっているから、と言うが信じられない。

でも多分本当に、18歳にもなれば全てわかってるのだろう。

そもそも大人が十代のリアルなマインドなど可視化できるわけがない。
統計やマーケティングという名の下で可視化されている風なその情報は全て嘘。
嘘じゃなくても無意味だろう。

彼の周りを取り巻く、受験産業の対策と傾向、セオリーなどから完全に背を向けて、
自信の根拠を語る姿が美しくすら思える。
自分自身の決断で、自分自身の結果を導き、それに従おうとしている。
話をすればするほど、過剰な心配性に裏打ちされた、一般論は空回りしていくだけ。
そして嗚呼、俺はいつからこんなにお利口な『大人』になってしまったんだろうかと唖然とする。

考えてみれば、十代の直感をいつでも邪魔をしているのは大人の良識。
大人の良識で世界が良くなった試しがない。

結果を求めているのではなく、自分のやり方でやり遂げようとすること

その価値をすでに分かっているのなら、もう何も心配することは無い。
それを曲げるくらいなら別にどこへも行かなくてもいいのだろう。

若い、蒼い、だけど美しい。

いつまでも、いつまでも、そこにこだわったということだけは忘れないでいてほしい。
その感覚だけがこれから生きていく上での拠り所になるのだと思う。

だから黙って見送ろう。
子が旅立って行く瞬間とは、こんな時なのかもしれない。

(ここまで書いて、今回の曲は中島みゆきの「時代」だったかな・・・?と思ったが、写真がチューリップだったので・・・。)

虹とスニーカーの頃

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪

若かった 何もかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい

白いスニーカー 汚さないように
裸足で雨の中 僕等は歩いた

びしょびしょぬれの トレーナーが
乾くまで抱き合った 夏の昼下がり

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪

若かった 何もかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい

白く浮かんだ 水着のあと
指先でなぞれば 雷の音

窓辺から 顔をつき出して
虹をさがしてた 君を覚えてる

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪
若かった 何もかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい

もつれた糸を 引きちぎるように
突然ふたりは 他人になった

ぼくらには できなかった
大人の恋は どうしても

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪

若かった 何もかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい

 

 

そうだよ、裸足で雨の中
歩いたっていいんだ。本当は。