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  • July 08, 2015
  • diary

Macと私

AppleじゃなくてMacである。

欲しかったのは、道具としてのMac.

当時、イギリスのデザイナー達がMacを道具として取り入れて行った。

1990年のちょっと手前だったか。ニルバーナすらまだブレイクしていない。

彼らは、ロットリングの代わりにMACを使ってデザインしてるんだよ!と、風の噂に聞いた。

ネビル・ブロディーが東京で展覧会をやった。Macを使ったデザインに驚愕した。

私は下っ端で、鉛筆の芯を何度も研ぎながら、来る日も、来る日も、手書きでA4見開きのレイアウト用紙を作っていた。

ああ楽したい。

私のMacへの想いの原点はそこである。

 

 

これはピーター・サヴィルの初期の作品。

フロッピー・ディスクを模したオリジナル・ジャケットは、その複雑な型抜き加工と、あえて黒インクを使わずカラー・インクを重ねて黒を表現するなど、制作コストがかさみ、結果としてファクトリー・レコードは、レコードが1枚売れれば、売れるほどどんどん赤字になるはめになった。

ちなみにファクトリーレコードは、その後ハッピーマンデーズに大金を持たせて

イビサ島へレコーディングへ行かせたら、アルバムを仕上げるどころか、全部ドラッグに使ってしまって、

おまけに薬物中毒でニューアルバムは完成せず、破産してしまった・・・。

その頃、私は会社を辞めて、秋葉原のソフマップで高額ローンを組みMACを買った。

IIciに100万かけてメモリフル搭載したら、まだ当時30歳位のソフマップの社長が見に来た。

90回払い。永遠の様なローン。半分以上が利息。子どもが生まれた頃もまだローン払っていた・・・。

「おむつを買うお金もないと言うのに・・・。」(嫁談)

しかし、ハードを買ったはいいがソフトを買うお金が無く、しばし置物と化す。

しばらくはそのMacを見ると心が痛んだ。

その後頑張って、様々なコネクションを作り英語版のソフトを入手した。

(当時、辻堂にはガレージを改装したMACやアミーガの販売店があった。)

また、ソフトが欲しい一心で(MACが使えると言うのを売りに)コンピュータ会社に潜り込み、その後独立して現在に至る。

初期投資は回収できただろうか?