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  • May 20, 2016
  • diary

青春の光と影

5月の最初の日に、北鎌倉へ行った。東慶寺。さだまさしが言うところの縁切寺。

地方に進学して、入学式をすっぽかそうとした息子からは、それ以降何の音沙汰も無い。

だから縁を切ってやろうかと思ったわけではありません。

一緒に行った、福祉関係のお仕事をしているKさんの「青春の光と影」がここにあるというのです。

 

 

ここで落とした涙の数々。しかしその訳も聞くことも無く、僕らは歩いて行きました。

この世の全てには光があれば影もある。

五月の光線があまりにも眩しくて、ふと手で遮る。

強い日差しに負けそうになる。

だけど、こんな木陰の木漏れ日のような、優しい光と影で私を包んでくれていたものがある。

 

 

木漏れ日の暖かさをそっと運んでくれた。音も無く、何も告げずに。

だから迷うこともなかった。

しかしありがとうの言葉も言えずに、時は過ぎ、形あるものは失われていく。

昨年、母が亡くなった。子供の頃からずっと親子二人で暮らしてきた。

十代には反発し。二十代には連絡もしなかった。

輝く日差しを求め、影の中を彷徨い、気がつきふと立ち止まって振り返ると、

木漏れ日の中で、 優しく微笑む母がいた。

その時気付いた、青春は光と影ではなくて、こんな木漏れ日のようなもの。

 

 

ああ、何だか哲学的になってしまった。

哲学書ばかり読んでいる息子の影響だろうか?

息子からは何の連絡もない、ちゃんと学校に行ってるのだろうか?。

しかし自分もそうだったからしょうがない・・・。と思いつつも、唯一の消息をたどる手段。

息子のAmazon での私のアカウントでの購入履歴。

私のカードで高額な哲学書を次々と購入している。遠慮はない・・・。

 

待たなくてもいいよ

知らなくてもいいよ

(ハナミズキ/一青窈)

 

 

連絡しなくてもいい。帰ってこなくてもいい。

ただ、 光と影の中を何度も行き来しながら、

いつか、優しい木漏れ日の存在に気づけばいい。

 

 

Joni Mitchell – Both Sides Now

 

天使の髪の美しい流れ
天空のアイスクリームキャッスル
フェザー(羽毛)の谷がそこら中に
私は雲をそんなふうに見ていた

でも今、雲は太陽をさえぎって
雨と雪をみんなに降らせた
たくさんのことをするつもりだったのに
雲は私の邪魔をした

私は雲を、二つの側面から見たのです
上から下から
でも、それは私のイメージであって
私は本当に雲のことを全然知らない

涙と不安
そして誇りを感じながら
「愛してる」と大声で言う
夢と人生計画、
楽しいサーカスの群集
私は人生をそんな風に見てました

ああ、でも
今、昔の友達はおかしな振る舞いばかり
頭をふって、私が変わったと私に言う
確かに、失ったものもある。
でも得たものもある。
毎日の暮らしの中では。

私は人生を、二つの側面から見たのです
勝ち負けという側面からでも、
それは私のイメージであって
私は本当に人生のことを全然知らない

それは、私が見た人生の幻影
私は本当に人生を知らない
なにひとつ。