15歳の時にアメリカに行きたかった。高校に行かずに留学したかったのだ。 小林克也に影響を受けて、ひたすらFENを聞いて英語を勉強していた。 しかし、当時まだ現実的にアメリカの高校に行くため ...more
かつて世界を旅する人になりたかった。 旅行記を得意とする小説家や、写真家、世界をまたにかける音楽家。 だけども、 あまり世界を旅することがない、今の職業に落ち着いた。 だから憧れる。 ...more
白いクーペではなくて、セダンから流れていたのは稲垣潤一ベストだった。 「思い出のビーチクラブも今は、閉鎖されて水の無いプールだけ。」 今はもう無いのは中三の春休みに、初めてアルバイトした地 ...more
Google Mapの案内通りに進むと、とんでもない道に行くことがある。 この日も、初めて来た茨城県のある町から帰るときに、 とんでもなく水田の中の農道に案内されて、ようやく河川沿いの道に ...more
虹の袂には宝が埋まっているという伝説。 この写真の虹の袂は小学校の校舎。 それはまさに宝だったろうと、美談の結末のようだが事実の話。 虹はれっきとした自然現象だけど、、私たちに希望を ...more
昔、叔母が江の島の橋のふもとで、おでん屋をやっていた。 夏にその叔母の店の二階から 花火大会を見た。 花火大会の後は店がかき入れどきになり、私は一人二階で眠ってしまう。 お客さんがは ...more
愛は頑張っている。愛と言っても「橋本愛」である。 検索すると容姿端麗なポートレイトの数々と一緒に、沢山の悪口ヒットする。 芸能界は怖いところだ。だけどそんな荒波に揉まれながらも頑張っている ...more
夕暮れの海岸に、光る子がいた。 正確には光っていないが、光るように見えたのだ。 光る子たちは波と戯れてはまた、光に包まれる。 &nbs ...more
久々の江の島。夏と呼ぶにはまだ早い五月の梅雨入り前。 晩春とでも言うのだろうか? 海の家の建設が始まる前の2週間程度、毎年カリフォルニアのようにカラッと晴れわたる。 そんな時にどこか ...more
5月の最初の日に、北鎌倉へ行った。東慶寺。さだまさしが言うところの縁切寺。 地方に進学して、入学式をすっぽかそうとした息子からは、それ以降何の音沙汰も無い。 だから縁を切ってやろうかと思っ ...more
心がムズムズする。春だからだろうか? いいやバート・バカラックのメロディーを聴いたからだ。 その旋律を聴いただけで、こんな気持ちになる作曲家は他にはいない。 どんなアレンジになっていようが、 ...more
いい梅見ろよ。見ています。 「いい夢見ろよ」といったのは柳沢慎吾。小田原市出身。 いい梅見たのは、小田原市の曽我の梅林。 まさに今が満開です。 ...more
1998年タワーレコードのサンセット・ストリップ店で、 スマッシング・パンプキンズのニューアルバムを買った。 ハリウッドの場末のモーテルの枯れたプールサイドで 一人で延々と何か語り続ける白人がい ...more
"わがままは 男の罪 それを許さないのは 女の罪" 当時、小学五年生の私は、その意味すらわからず口ずさんでいた。 しかし、そのニュアンスは感じていた。 大人の恋のニュアンス。早熟なのではない。 ...more
そんなに見つめられても困ります。 だけど見つめられてしまいます。 見つめられて、見つめ返して。 見つめることで、愛は深まるのか? ...more
2016年 謹賀新年 また新たな年を迎えられたことを感謝するとともに、 皆様にとって、輝く一年であることをお祈りいたします。 株式会社コルコバード 代表取締役 ...more
アムステルダムにはダムがある。ダムに囲まれた町なのだ。 リトル・アムステルダムは横須賀にある。米軍基地の町。 港に空母が入ると、ぱっと賑わうドブ板通り。 かつてはヨーコもここにいた。 ...more
時々撮ってしまう。マンションの広告のような商業主義の写真。 だけど犬と目が合った。こっちを見ている。 時々、強い風が吹いた雨上がりの夕方。 チャンスとばかりに海岸へ行ってみると、こち ...more
「人の世は芸術ではなく、永遠の命を持つことはない。」 巨大な鱒を釣り上げて、満面の笑みを浮かべる若きブラッドビット。映画史に残る名シーン 。 (号泣するところをタイミング良く息子に見られて ...more
コール・ポーターの夜と昼について想いを馳せる。 昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか。とはニーチェの言葉。 彼の音楽には、そんな深い絶望の悲しみと、 この新しい一日の始まりのような謙 ...more